2014年8月22日金曜日

 ラオポーの一日の始まりは遅い、最近特に遅くなった。10時位まで寝ていて、一回起きてくるが、母がいないとそこから昼間で二度寝する。
 で、母がだいたい昼くらいに帰ってきたりすると、起きだして母がつくった昼食を食う。
 めしを食って、なんかグダグダしてるので、日本語の勉強をしろというと、忙しいとずっとiPadをいじっている。
 ほっておくともう夜だ。夜、一時間位、ぬるい感じで日本語を勉強して、もう寝る時間だ。

入国管理局 みたび

 入国管理局へドライブ。三度目だ。ラオポーと母親も一緒。
 入国管理局に何か問い合わせるときは、電話するより、直接行く方が良い。何回か色々と電話で問い合わせたことがあるが、その度に間違っていたり、要領を得ないやりとりで時間を浪費した。直接行くと何故かスッキリ解決する。担当者との巡り合わせ、単なる運なんだろうが、とにかく、名古屋入国管理局へ。
 私は、この申請がダメでもう一度国外へ出てやり直せと言われたら、面倒くさすぎてゲロを吐き散らしそうだ。イラついている。
 1階に窓口があり、ここで何をしに来たか伝えると、どの窓口に何を持っていけば良いか教えてくれる。この受付にいるのは、ほとんど外国人の職員だ。
 私が申請が不許可になったので来たと伝えると、この相談も仕込み書を書いて二階の1番にいけと言われた。
 二階はクソ広いカウンターに各種申請の受付、そとには大繁盛のローソン、ローソンの中の証明写真機は二台あり、両方に人が並んでいる。
 相談の受付には、外国人たちが下手くそな日本語で色々と相談してる。しばらく待たされる。私はイラツイていたが、ラオポーはのんきなもんだ。私にあの女を見て!!整形の化け物よ!!と耳打ちする。こんな時になんだと見たら、何ってこった、あの鼻はマイケル・ジャクソンじゃねぇか!
 順番が来て、不許可の理由を尋ねると、私が無職なのがまずいという。何か職を見つけて、在職証明書と両親と住んでいるので、両親の所得がわかるものをつけて、再申請すれば問題無いという。
 理由が一点だけだったので、なんとかなりそうだ。不許可の書類にはもう一個理由がありそうだったので心配していたが。なんとかなる状況だ。
 再申請の書類をもらい、家に帰る。
 

2014年8月16日土曜日

入国管理局

 母の実家から帰る。ラオポーは婆ちゃんの畑からネギと土を貰ってきた、家の庭に植えるつもりだ。  また4時間のドライブを経て家に帰ると、入国管理局から郵便物が届いているらしい、どうやら私本人でないと受け取れないらしい。  私は自転車に乗ると郵便局へ。自転車に乗りながらふと思いだす、受付のねぇちゃんは確か審査が終われば、取りに来いというハガキを送ると言っていた。ハガキなら私の家のポストに放り込んでくれる筈だ。  これは嫌な予感がすると思いながら、郵便局へ到着。郵便物は封書だ、くそったれ。受け取ってすぐに風を開ける、紙が二枚。  一枚目には通知書と書いてある、その下に審査の結果、申請は不許可と書いてある。理由は私の扶、養能力に疑問があると書いてある、確かに無職なので文句は言えない。  家に帰って報告。中国語の文書も入っていたのでラオポーに見せる。再申請はできるのでなんとかなるだろう、多分。という感じだ。  親父は結婚して、親とも同居してるんだから問題ないだろうと、ちょっとキレ気味だ。明日、入国管理局に相談しにいくことになった。

牛乳

 朝起きると、何もやることがない。なのでラオポーが好きな牛乳を買いに行くことにする。牧成舎というこのあたりの有名な会社があり、そこの白の命という瓶入りの牛乳がメタクソ美味い、らしい。私は牛乳が嫌いなので飲まないのでしらない、が飲んだ人間はみんな美味いと言っている。  町中まで行って、売店を探す、だがみつからない。人に聞くと売店の方はやめたらしい。工場がすぐ近くにあるので、工場へ。工場には直売店が併設されている。  牛乳を注文する、売店のおばちゃんはすごい丁寧で親切だ、冷蔵庫の中に在庫があるのにわざわざ工場に出来たてを取りに行ってくれた。  ついでに一個20円の傷物のヨーグルトを20個位買う。もとは90円だ。こいつは食ったがかなり美味い。  母がソフトクリームも売ってるのを見つけた。ラオポーにきくと高いのでいらないという。350円だ。母がせっかくhなので一個だけ注文。ラオポーが口に入れると表情が変わった。私が洒落でバクバクと食うと本気で切れた。

帰省

 お盆なので母の実家に行くことになった。父は色々と忙しいので、母と私とラオポーで。  ラオポーは過去に3回ほど連れて行ったことがある。ある。場所は岐阜県の飛騨市。飛騨市だ。ラオポーはこの地域の食いもんと相当、相性が良いらしく、食いもんが世界で一番うまいと言っている。母の実家の前にある何の変哲もないたこ焼きとみたらし団子屋ですら、大好きで日本で一番うまいたこ焼き屋だと本気で言っている。  なので、日本に来てからいつ行くのか、いつ行くのかとずっとせっつかれていたが、やっと連れて行けることになり、喜んでいる。  昼ごろに車で出発、台湾に行ってからほぼ運転していなかったので、私のペーパードライバー克服のために私がずっと運転することになった。名古屋からずっと下道で飛騨市まで約4時間。  4時間のドライブでたどり着いたのは避暑地には持ってこいの山の中。涼しい。エアコンが完全に不要なくらいだ。といってもエアコンがない家はないが。湿気もなく、気温も低いので蚊も少ない。特に台湾から来たラオポーにとっては天国みたいなところだ。  ラオポーは無邪気に桃が食べたいとはしゃいでいる。婆ちゃんは寿司をとってくれラオポーはご満悦だ。

洗濯とショートパンツ

 ラオポーが日本に来て以来、洗濯は私の父がしている。下着も含めて。一般的な家庭だと、こういう時洗濯はどうしているのだろう。下着くらいは自分で洗って干したりしそうだが。  ラオポーは風呂にはいるときに洗濯機に放り込む。父が朝5時か6時に起きて洗濯する。ラオポーはそんな時間に起きられない、あさ8時に起きたら珍しい方だ。  ラオポーに下着を洗われて干されて、恥ずかしく無いかと聞いたら、ハズカシーと言いながら笑っているだけなので、別にほっておくことにした。  ラオポーは台湾では暑いのでショートパンツをよく履いていた。日本にももってきたが、これは恥ずかしいので履けないとどこかにしまいこんでいたはずだが、それもいつの間にか気にせずに履いている。

2014年8月10日日曜日

ケーキづくり

 ラオポーは私が勉強しろと言わなければ絶対にやらない。今日はシフォンケーキを作るから忙しいと、ずっとネットをソファーで見てる。
 やっと重い腰を上げて、ケーキを作り出すがよく作り方がわからないようだ。最終的にぺっちゃんこの何かが完成した。
 味は大丈夫だろうと食べたら、衝撃。フワッとした食感が皆無。ベチャッとした何かを口に突っ込まれたような気分。
 飯食ったばっかりなので、あとで食べると言って、逃げる。しばらくすると満足気にソファーで昼寝し始めたので捨てる。
 父が帰ってきたので、ラオポーが早速すすめるが、結局誰も食べなかった。

2014年8月8日金曜日

言語を学ぶ

 ラオポーは基本的に毎日やることがない。やらなければならない事は日本語を勉強して一刻もはやく日常生活に支障がない程度のレベルになることだが、ほとんど勉強してない。
 毎日、私が勉強しろとしつこく言わないとやらない。あとでやる、今は忙しい、暑いから、昼寝してから、くだらない言い訳だけが次から次へと出てくる。まったく母親になった気分だ。
 今日も午前中何もしてないので、昼飯を食ったあとソファーに寝転がっているラオポーに勉強しないつもりかと迫ると、30分後にやりまーすと昼寝を始めた。起きたのは夕方だ。
 国際結婚して一方だけが、相手の言語を喋れる夫婦はもう一方の言語は全く成長しない、というのはよく聞く国際結婚あるあるだ。全くこのパターンに陥りそうだ。
 言語というのは必要に迫られないと成長しない。台湾に何年も駐在しているサラリーマンでも日本語ができる秘書がいたりすると、ニーハオくらいしか喋れないという人も実際に多くみた。ラオポーは今24時間通訳が付いているようなものなので、言語を勉強する環境としては最悪だ。
 それで今日はひとつ規則を作った。ラオポーはよく私にあれとってとか、あれをどうしろとかいろいろ頼むのだが、正しい日本語でなければ無視することにした。すると何もかも自分でやりだした。

2014年8月7日木曜日

妊娠

 ラオポーが妊娠したかも、妊娠したかも、とうるさい。
 根拠は、めちゃくちゃ眠い、とにかく眠い。だるい、たまに吐き気がする。というものだ。タイミング的にただの夏バテだと私は思っているが、よくわからない。
 次の生理がなければ、検査薬を買いに行くか。まぁ何にしてもタイミングが悪い。しょうがないけど。

2014年8月6日水曜日

Good Luck

 昼間、私もラオポーも無職なので基本暇(24時間暇だが)。ひどく暑い昼飯時、ラオポーがささっと昼飯を作り二人で食べる。
 飯を食い終わり、ラオポーがアイスコーヒーを飲みながら、ソファーに体を埋め染み染みと「Good Luck」と言った。私は何と言ったと聞くと確かにGood Luckと言ったという。
 何がどう、Good Luckなのか。

2014年8月5日火曜日

盆踊り

 母が近所で盆踊りがあるというので、らおぽーを連れて行けという。夕方に母がラオポーに浴衣を着せる。ラオポーはテンション高めだ。
 少しだけ雨が降っているが、会場の公園に向かう。地域の団体が主催したようなイベント。伝統性は欠片もない。それでも子供を中心にかなりの人数が集まって、踊っていた。
 夜店も10件以上出ていたが、ラオポーは夜店には全く興味がない。全部高い、不味そうで終わりだ。かと言って盆踊りも踊らないので、浴衣着て散歩に来たようなもんだ。すぐに帰る。
 写真だけ撮りたがるのでバンバン撮るが、暗いのでいまいち。結局、家の前のコンビニの中で撮ると言い出し、コンビニの中で写真を撮って帰ってきた。

2014年8月3日日曜日

 うちの両親は大分変わっている。かなりの放任主義で、生き方に口を出されたことはほぼない。
 なので今回の同居に関しても、一般的な嫁姑問題の発生は心配していなかった。余程の事がないかぎり母がラオポーがどうのこうと口を出すことはないだろう。
 だが、同時に母がラオポーのことをどう思っているかも分からない。全く何も口を出さないので、実際のところ気に入っているかどうかもわからない。親父はこの天然で明るい娘を気に入っている。気に入っている。
 ラオポーは保守的で厳しい台湾人の家庭で育ったので、親という存在に対して、かなり敬意を持っている。両親が外から帰っくると必ずお茶か水をサッと出し、私がぞんざいな口のきき方をすると、意味もわかないのに私を礼儀知らずと叩く。
 うちの家庭は数年前から、留学生をホームステイさせているので、外国人が家の中にいることはなれている。ラオポーは見た目もだいぶ若く、性格も天然で子供っぽいので、両親的には留学生がいるような感覚なのかもしれないが。
 とにかく、ラオポーはこの家に馴染んでいる。
 ラオポーは最近、少し落ち着いたのでやっと日本語の勉強を真面目にやり始める。だがあまり進歩はない。私がしゃべれるのですぐに通訳してしまうのが不味いのだろう。
 言語を学ぶときに上達するコツは困ることだ、困れば困るほど進歩する。
 今日は父に日本語を習いながら「なんで~なんで~、わからん!」を連発していた。

2014年7月30日水曜日

 昼飯を食った後に入国管理局へ。母親が偽装結婚を疑われないように大人数で行ったほうがいいだろうというので、三人で入国管理局へ。
 ラオポーは外国人ばっかりだと天然ぶりを発揮させ、母を笑わせながら、受付の番号をとる。約50人まちだ。
 一時間ほど待たされ順番が来る。申請書の不備を何点か指摘され、その場で修正する。最後に通知のはがきの住所を書かせれ、2週間から4週間で結果が出ると言われて終わり。
 ネットでは(行政書士のサイトだが)、滞在資格変更申請は、最近は難しいと書かれていたので少し不安だが結果を待つしかない。といって行政書士に頼むと8万から20万くらいとられるので、冗談ではない。
 明日、名古屋入国管理局に滞在資格変更申請をしにくのでその準備。今、ラオポーは観光ビザなので、それを配偶者ビザに切り替える、手続きをしにいく。
 これがめんどくさい。偽装結婚でない証明のために、色々細かい事を書類にしなければならない。出会ってから結婚までの経緯や、結婚までに何年何月何日に行き来したとか、あとはスナップ写真などの提出も求められる。
 書類を準備をしているうちになんとなく一日が終わった。
 津島市で有名な祭りをやっているというので、母が祭りに行こう。ラオポーは勿論乗り気なので出発。親父が近くの公民館の管理人のバイトの日なので、置いて三人で行く。
 しかし、酷く暑い、暑い。体力が熱に奪われていく、ろうそくにでもなった気分だ。
 ラオポーは流石、台湾人なので夜店をみて、高すぎる!詐欺だ!と騒ぎながら、楽しそうに写真ばかりとっている。夕方くらいについたが、消耗が激しく夜、メインのイベントが始まる前に帰る。ラオポーも楽しみにしてた花火が思いのほかしょぼかったので、文句も言わなかった。

携帯電話

 昼間、携帯電話を買いに行く。正確にはsimカードだが。台湾にいた時からラオポーのネット、電話の環境は話し合ってきた。あんまり金は掛けられないので、出した結論がこれだ。
 ハードはiPad miniにHTCのAndroid携帯電話(私が台湾で使っていたものだ)。HTCの携帯電話にイオンのb-mobileの音声付きのsimを入れる。iPad miniはHTCのディザリングで運用する。スピードは200kbpsのドンガメだが、LINE、メール、Googlemapくらいなら問題ない。
 そして名古屋郊外のイオンへ。ラオポーはこんな何でもないデパートに異常なほど人がいるとずっと笑っている。結構待たされたがすんなり購入し帰宅。
 カードを指すと画面にはドコモの表示、WOW。問題なく電話が掛けれる。APNの設定し、ネット接続とディザリングも問題なし。
 トラブルもなくあっさりいった。海外の携帯好きな人とかは海外旅行のついでに携帯買ってきて、安いsimカードでも刺したほうが自由で良い。海外のはへんな規制がはいってないから着メロをただのMP3のデータとかにできるし、くだらない事で金がかからない。

2014年7月26日土曜日

来日当日

 来日当日、朝 日本時間8時 台湾時間7時。ラオポーに電話、叩き起こす。朝が極端に弱いので、二三度電話し完全に起こす。最後にはキレられる。
 12時発のフライトだが、それまでにインターネットと保険を解約し、空港に移動しなければならない。空港までの移動距離を考えるとかなりカツカツの予定だ。忙しいので電話するなと言われる。飛行機に乗る直前くらいに電話すると間に合ったようだ。
 台湾を12時に出発すると日本につくのは4時ぐらい。それに合わせて母と空港へ、父も行きたがっていたが用事があるのでパス。
 ゲートで待っているがなかなか出てこない。かなり待つ。税関で何かあったのかと訝しんでると、重そうなカートを押しながらラオポーが出てきた。案の定、税関で荷物を全部ひっくり返されたらしい。荷物が異常に多いので色々疑われた、らしい。荷物を詰め込むために靴の中にお茶の葉とか突っ込んでいたので余計疑われたらしい。
 家についてアホみたいな量の荷物を取り敢えず片付ける。
 ラオポーが来日し、親父が一番嬉しがってるように思える。私には妹がいるが、親父との仲は異常に悪い。ここ何年かまともに口も聞いてないだろう。
 ラオポーは自分から私の親と同居したいと言い出すくらいなので、親に対して愛想が良い。天然で明るいので、妹とは全く正反対だ。日本語はろくに喋れないが、口も聞かない娘よりは可愛いのだろう。ラオポー来るので一番広い自分の部屋まで明け渡してくれた。
 とにかくラオポーが日本にやって来た。

2014年7月24日木曜日

来日前夜(深夜)

 明日、いやもう正確には今日の夕方には、(今は深夜2時9分 私が思う一番深い夜の時間帯だ)私の妻が日本にやって来る。今まで妻のことを、昔の習慣でただ”女”と表記していたが、これからは中国語で妻を意味するラオポーと表記することにした。(勘ぐるほどの意味は無いさ)
 7月24日の深夜2時13分をこのような形で迎えるとは、3月25日の自分は予想していなかった。していなかった。
 当初の計画はこうだった、私はラオポーより数ヶ月先に先乗りして、仕事を探してラオポーを迎え入れる準備万端にする、そしてラオポーは台湾の一切合切を整理して乗り込んでくる。まさか仕事が見つかっていないとは予想外だった。どうもこの数ヶ月運に見放されたようだ。来て直ぐに仕事を紹介してもらったのだが、断らざるをえない状況に陥っていしまった。タイミングが合わなかった。としか言い様がない状況だった。 グダグダ言ってもしょうがないので、毎日が日曜日を楽しんでいる状況だ。
 来日を明日に控え、ラオポーは今も荷造り中だ。さっき台湾の飛行機が爆発したというニュースを見て怖いので乗りたくないとで騒いでいたのを、やっとなだめて荷造りを再開させた。
 台湾は今日は台風直撃で、サービス業以外の会社は休みだ。ラオポーは今日、ネットと保険の解約をやる予定だったが出来なかった。結局、出発の朝にヤラざる得ない。だが飛行機のフライト時間は12時00分。
 間に合うのかと聞いたら、間に合わなくても間に合うと訳の分からない回答が帰ってきただけだった。まぁ無事間に合うことを祈ろう。
 深夜2時37分 そろそろ3時が近づいて来た。3時には朝の気配がある。もうそろそろ眠るとしよう。明日の朝にはラオポーを叩き起こさなければならないだろう。

2014年6月4日水曜日

帰国

結局のところ、私は2014年3月25日に日本に帰ってきた。
女はまだ台湾にいる、別居状態だ。が、一時的なことだ。女は税金の処理などをするために台湾に残り、私は一足早く日本に引っ越しした。女も7月の末には日本に引っ越してくる予定だ。
引っ越してくれば、私の実家で両親と共に共同生活が始まる。
このブログのタイトルは台湾移住記だ、タイトル通りならもうここで書くことはないのだが、台湾人の女が日本でどう暮らしていくかを引き続き書いて行きたいと思う。タイトルは変えることになるが。