2015年10月25日日曜日

在留カード

 入国管理局へ行ってから2週間後。果たして無事更新の手続きが済んだというはがきが来た。これをもって入国管理局に行けば新しい在留カードがもらえる。その際には4千円の収入印紙がいる、くそったれ。  私はもうただ取りに行くだけが面倒だったので、母親に暇な時に車で送って行ってもらうように頼んだ。これで一件落着だ。次の更新までは。  そしてラオポーが新しい在留カードを取りに行ってきた。期限を見てみるとまた一年。次は3年か5年じゃなかったのか。  といっても、子供ができたので、更新の必要がない資格に変る。らしい…が。  

2015年10月18日日曜日

妊娠後

 妊娠3ヶ月。ラオポーの口癖は「吐きそう」。当たり前、だが。
 私は妊婦といえば、みかんとレモンばっかり食うと思っていたが、全然違った。炭酸を飲みまくっている。ほとんど毎晩コンビニまで買いに行かされる(道路の向かいにあるので、大した距離じゃない)。
 スプライトを手渡すと、さっと一口のみ、はぁとため息を付いて、吐くところだった一言。ほとんど薬だ。
 それに風呂嫌いになった。前はちょっとでも汗を書くとシャワーを浴びて、一日に2,3回入浴していたのに。妊娠後の今では全然変わった。
 髪が脂ぎっているのでどうしたのか聞いてみると2日くらい入ってない、そして3日目に途中する気満々。とか最近はそんな感じだ。私がさっさと風呂にはいれと怒らないと入らない。
 にしても、お腹の中の赤ちゃんは順調だ。
 

2015年10月12日月曜日

 ラオポーの在留カードが発行されてから約一年がたった。つまり更新の時期である。
 ラオポーがすっかり忘れていたので、危うく期限切れになるところだったが、のこり三週間。更新のお葉書などが来るわけでもないので、本当にやばかった。
 必要な書類―戸籍謄本、住民票、収入・納税の証明書、会社の在籍証明書などを揃えて、休日に入国管理局へ。
 クソ項目が多い申請書を書くだけで30分位かかる。こんな項目必要か?というのが本当に多い。結婚の届けを日本の区役所に提出した日など、このブログを書いていなければ全く覚えていなかった。台湾側の方なら結婚記念日となるので覚えているが、こんなこと一年後に聞かれても覚えているわけがない。
 申請書を書いただけでヘトヘトだが、まだ始まってもいない。番号札をとって一時間ほど待たされる。
 書類の受理はあっという間に終わる。2週間から4週間後に通知の葉書が届くので、それをもってまたここに来なければならない。この期間のうちにラオポーの在留カードの期限は切れるが、申請しているので、期限から二ヶ月間は延長という扱いになる。

2015年10月9日金曜日

 二週間後また病院。私達の子供は6ミリほどに成長し、心臓が動いていた。一つの体に2つの心臓が動いている。
 初めて知ったが、妊娠に健康保険は使えない。一万以上の請求書を見て一瞬うろたえる。
 今後は母子手帳を貰えば、同時に補助券もらえて、安くなるというシステムらしい。医療行為なんだから健康保険がつかえないというは、納得がいかない。が、私がどう思おうがどうにもならないことだ。
 といってもまだ貰えないみたいだ、妊娠の安定期にはいってかららしい。あと一回はバカ高い診察料を払う必要がある。
 ラオポーもブーブー文句を言っているが、しょうがない。
ラオポーは妊娠してから、夜に腹痛がひどく少し寝不足だ。今回薬をもらえたから少しはらくになるだろう。
 ラオポーが妊娠した。私の仕事が休みの日に病院に行くことにしたが、一週間ほどの時間がある。
 だが、ラオポーは夜、腹痛がひどくて眠れない時があるという、出血も少々。
 ネットで調べた限り、少々の出血は問題ないらしいが、ネットの知識で判断するべき事柄ではない。私は母親に病院への同行を頼むことにした。ラオポーは妊娠が安定するまで伝えたくないというが、もしものことがあると思い、強引に病院に行くように説得した。
 仕事の合間に気になり電話すると、妊娠は間違いなく、健康状態は良好だという。
 家に帰り超音波写真をみた。まだ数ミリの大きさしかないが、確かに生きている。

いたずら

 鋭く私を呼ぶラオポーの声を聞いて、ラオポーを見た。私はラオポーの隣でまどろんでいた。
 そんなボケた頭でも、ラオポーが妊娠検査薬を凝視している表情と声を聞いて、私がついに父親になったことを知った。
 この手の悪戯をラオポーはよくやるが、私は毎回それが悪戯であることはわかっていた。今回が本当であることもすぐにわかった。

2015年10月3日土曜日

運転

 車の運転。これはラオポーの重要課題のひとつだ。  車の免許をもっているが、まともに運転できない。
 近所に買い物のついでに練習させる。
 早速、自分が道路のどこらへんを走っているかわからない!と叫びながら運転する。
 前方に電信柱、左にすごく寄っているのでこのまま行けばサイドミラーは間違いなく吹っ飛ぶ。それに赤信号だ。
 私が、はい!止まってというが、止まらない。止まらない。叫ぶ!もう吹っ飛ぶ寸前でやっと止まる。
 私が何を考えていたんだ!と怒鳴ると、ラオポーはブレーキの場所がどこか考えていた、と答えた。

2015年8月23日日曜日

それを使うのは10年後だろう。

 いつの間にクソ暑かった真夏が終わっていた。私はただただ汗を流し消耗していた。ラオポーは―それが重要だ―相変わらずだ。  日本語の勉強もあまり進んでない。毎日勉強するという約束だけは100回位させたが、実行されてはいない。日本語の上達も、すごくすごく緩やかだ。してないようりは、はるかにマシだが。  一日の終りに、私は必ずラオポーに尋ねる。今日は何を勉強したのかと。今日は”ペラペラ”という単語を勉強したという。「私の日本語はペラペラです」というセンテンスを覚えた。

2015年4月17日金曜日

電話

 仕事中、ラオポーから着信。出るとラオポーが「何してるの?」 仕事以外何をしているのか逆に聞きたい。  ラオポーは私の回答も待たずに話を始めた。面白い話があると。  内容はこうだ。  日本語教室に寝坊して一時間遅刻した、先生にもっと早く起きなさいと言われた。ラオポーは大爆笑だ。  落ちもクソもない、先生もごくごく当たり前のことを言っただけだ。  私は適当に対応し電話を切った。

子供

 ラオポーの関心事は2つ。部屋の改装と子供だ。暇さえあれば常にiPadの生理日予測アプリ的なやつを見て、最高のタイミングってやつを計算している。  最近はこういうのを妊活とか言うんだろうか。

壁紙

 壁紙をどうするか決まったらしく、ペンキと補修材をネットで買えと私に言う。ほとんどなんに使うかわからないがネットで言われるままに買った。  そのペンキやらが届いた次の日、家に変えると、寝室の床一面にビニールが敷かれ、色々と養生してある。  最近では壁紙に塗るペンキがあるらしく、それでラオポー安く部屋のくすんだ壁紙を何とかするつもりらしい。壁の傷づいたところは粘土のような補修材を壁に塗り、その上からペンキを塗るという方法だ。すでに一部の壁は塗られていて、壁紙は白さを取り戻していた。近くで見ると雑だが、ラオポーが満足ならどうでもいいことだ。

壁紙

 ラオポーが日本に戻ってきて、やりたいことがあると言い出した。部屋の改装だ。  壁紙やら床をどうにかしたいという。金が無いので自分でやると言っている。自分で壁紙をやるなんて、難しいし大変で必ず失敗するからダメだというと、幼児のように体を震わせながら「ヤダヤダヤダ」とダダを捏ねる。これは相当意思が固いということだ。私は諦めて好きにすればいいと言った。こうなるとどうにも人の言うことは聞かない。  それから数日間、私が仕事から帰ってくると必ずずっとネットで壁紙をどうにかする方法を研究している。

2015年3月28日土曜日

帰国

 ラオポーがが帰ってきた。約一ヶ月の里帰り。  あほみたいに荷物を持って帰ってきた。台湾の食べ物から火災報知機まで。  四月に友達がやってくるのでそっちに預けてある分もあるらしい。

2015年2月25日水曜日

旧正月

 旧正月に合わせてラオポーは里帰りだ。その一ヶ月も前から、お土産を買いまくってる。日本酒に煎餅に日本製の薬に姪っ子のおもちゃ。スーツケース3つ持って飛行機に乗って帰っていった。
 一ヶ月は帰ってこない予定だ。

2015年1月28日水曜日

新しい留学生

 正月が終わり、また新しい留学生がやってきた。今度はNYから来た。アメリカ人の女の子のエミリーだ。
 シンガポール人の留学生が帰ってしまうので、ラオポーは中国語で喋る相手がいなくなると文句を言っている。が、中国人が嫌とか色々注文をつけたのはラオポーであり、その注文の結果エミリーが選ばれたんだと思う。
 共通言語が日本語しかないので、お互いコミュニケーションが取れないと思っていたが、そうでもなかった。
 拙い日本語で毎日何時間も喋ってるらしい。こないだは二人で近所のラオポーお気に入りのうどん屋に行ったみたいだ。
 そこは昼間しかやってない、地元の人間しかいかない小さなうどん屋だ。美味いのでたまに私も行くのだが。そしてラオポーは一人でもちょくちょく行ってたみたいだ。
 そして今回、エミリーを連れて行った。恐らく外国人(白人)が店に来たのは初めてだんだろう。ラオポー曰く、店に入った瞬間店員のオバサンたちに緊張が走ったのがわかったという。
 最後には店長、オバサン全員揃って、店の外にでてきたという。

2015年1月7日水曜日

親戚の子どもたち

 親戚が遊びに来た!!私には血縁関係にある叔母が二人。従兄弟が5人いる。従兄弟同士かなり仲がよく、兄弟の様と言っても差支えはない。
 そのうち一人は二度結婚しており、前妻のも含め子供が三人いる。そのうち二人の兄弟が遊びに来た。年は3歳と6歳くらいだ。
 私以外のこの世の誰も知らないが、私は子供好きだ。車でぐっすり寝ていて、寝起きで不機嫌というので、遊んでやることにした。ゲームやるか?というと食いついてきた。といっても私の家のPS3には子供に不適切な表現のゲームしかないのだが、従兄弟は気にしない。Far Cry3をやらせてやったら大喜びだった。
 私の親戚は私も含め、ブルーカラーの低学歴ばかりだ。従兄弟の嫁も所謂ヤンママ的な感じだ。といってもそれなりにちゃんとしてて、明るい良い娘なので私は好意的な印象を持っている。
 私がみかんを剥いて、下の子に半分やると、みかんが好きだったようで大喜びだ。私はじゃいっぱいあるから腹減ったら喰えと両方のポケットにみかんを突っ込んでやった。するとさらに大喜びだ。嫁がちゃんと馳夫君にありがとうしようねぇと言った。君?と思ったが、オジサンと呼ぶのを気を使って避けたんだろうと対して気にしなかった。まぁジャニーズの習慣みたい、とは思ったが。
 だが、私以外に凄く気にしている人間がいた。ラオポーと私の母である。
 それは次に日に分かった。私が仕事から帰きて食事の時に、母がその話題を切り出した。子供に私を君付けで呼ばせるなんて、ちょっと常識がないというような事だ。するとラオポーがすぐに同意した。
 ラオポーも「君」の意味が分かる程度には日本語が成長していたらしく、そのことを夜ずっと台湾の日本語が得意な友達と語り合っていたという、そのせいで気になって眠れなかったと言っている。

年越し

 ラオポーにとって日本で過ごす二度目の年越し。定住してからは初めてだが。以前年越しに遊びに来たことがある。  夜は家族ですき焼き。義理の弟の家族から御歳暮の松阪牛だ。ラオポーはご満悦だ。  その後は、紅白歌合戦。私は生まれてこの方、紅白歌合戦を10分以上観たことがない。あの司会進行の寒さが恥ずかしすぎて見てられないのだ。どうせ次の日は仕事で5時起きなので、九時くらいには眠った。  ラオポーは紅白歌合戦を観たあと、父と近所の神社に初詣に行った。もう私は完全に寝ていたが。

2014年12月28日日曜日

年末

 12月には入り、日本語教室はすべて終了。再開は年明け後だ。つまりラオポーは何もやることがない。
 授業がなくても、教科書を見て毎日勉強すればいいんだが、全く勉強をしていない。
 ラオポーはもともと勉強する習慣がないプラス地味な勉強が嫌いなタイプだ。だが言語の勉強はド地味な勉強方法が一番効果がある。本当に百回くらいそのことをラオポーに説明して納得させたが、ダメだ。
 たまに怒って、勉強させても3日も続かない。日本語が喋れるようにはならないだろう。困った。
 久しぶりに友達と会うことになり、出かけるとラオポーに伝えた。何時に帰ってくるかというので、5時か6時だと答えた。
 すると3時に帰って来いという。馬鹿かと。小学生でもそんな時間に帰って来いと言われなかった。
 なんでそんなに早く帰って来ないといけなんだと聞くと、明日も仕事があるしという。6時に帰ってきても明日の仕事には影響はない。
 アホかと結局、五時過ぎに帰った。

2014年12月19日金曜日

 台湾では基本的には雪は降らない。(降るには降るが富士山より高い山の上だけだ。)だからラオポーは―といより台湾人一般は―雪を見ると大興奮だ。  そして、昨日の記録的な大雪だ。降りだすとちょこちょこ外を見て雪だ、雪だと大騒ぎ。  私は今、雪が降るとものすごく困る仕事なので、降れば降るほど私のテンションは下がる。  何でテンションが低いの-!!と騒ぎが止まらない。  そして朝、目覚めると銀世界。たまたま会社が休みの日だったので助かったが、出勤日だったらと思うとゾッとする。  すぐにラオポーを起こしてやる。外を見ると大騒ぎだが、朝は弱いのですぐに寝てしまう。三時間後にやっと起き、雪だるまを作ると息巻いている。しょうがないので近くを散歩。ちょうど良い空き地があった。ラオポーは雪にダイビング。  そこで雪だるまを作ることにした。よーしとラオポーは雪を掴んでは積み重ねていく。当たり前だが雪を転がして作るということを知らない。とりあえず作り方を教えてやると、楽しそうに雪だるまを作っていた。