2013年3月11日月曜日

登録している就職会社から電話があった。内容はウチの面接を受けてみない?私は明日面接を受けると返事をした。
私は今日は温泉にでも行こうと思い、朝から出かける。
朝飯はコンビニで牛肉麺と唐揚げとおにぎりとビール。喪中なので全部NGなのだが、私にとってはどうでもいいことだ。
台北の北にある温泉地で温泉に入る。平日なので誰もいない。貸切りだ。
それから台北駅周辺で買物。Bluetoothのマウスが壊れたので新しいマウスとPS3及びタブレット用のBluetoothキーボードを買った。
ついでに昼飯。ペッパーランチでステーキ。日本でも行ったことはなかったので生まれて初めてだ。

2013年3月10日日曜日

朝八時くらいに起きる。女だけが寝ていた。特にやることもないみたいだ。朝昼晩やると言ってた念仏をやる気もないらしい。よくわからない。
親戚が訪ねて来ては去っていく。親父さんもお母さんも兄弟が5,6人いてさらにそれに3,4人子供がいるので親戚は相当を多い。
病院の霊安室で私を気遣ってくれた叔母さんもやって来た。叔母さんは何故か私に朝ごはんにたべてくれと、台湾のおにぎりみたいな料理を買ってきてくれた。
それからまっったくやることがないので、叔母さんが近くに山があるから女と散歩に行って来いと言ってくれ。私たちは散歩に。天気が良かったのでこれはなかなかの息抜きになった。
午後は親父さんの遺骨を放り込む納骨堂を見に行く。
台北の郊外の山奥。13階建ての円形の塔。中身は趣味の悪い骨壷コインロッカーだ。豪華さで三段階くらいに値段が別れており一番高いのはVIP区と書かれている。親父さんの骨はVIP区に放り込むらしい。VIPというネーミングに美学がない。仏教ぽい名前をつければいいのに。
骨壷ロッカーの場所の候補を2つくらいに絞って納骨堂を後にする。その後に葬儀会社のオッサンと葬儀の日程の相談。
これは死んだ人間の生まれた日時や死んだ日時から占いで決める。アホらしい。来月の上旬くらいにやるらしい。
夜、やっと家に帰る。疲労が原因だろうが、酷い頭痛。薬を買ってきてもらう。

2013年3月9日土曜日

深夜プラスワン―引き続き・霊安室。アミトフのワンフレーズを唱え続ける。
次々と親族が来ては消えて行く。残るのは親父さんと直接血縁関係が人間だけ。三人の妹と兄夫婦が残った。
また霊安室のドアが開く、変な布を体に巻いた坊主頭のデブがいる。よく見るとそいつは袈裟だった。坊さんがやって来た。
坊さんはお経のボリュームをマックスに上げ私達を外に出し、この儀式の説明を始めた。朝の8時に遺体を取りに来るまでこのイカレた儀式を続けるらしい。私も死にたくなった。
坊さんは中での規則の説明をした。今まで立ってやっていたが座っても良い、中では喰うのは禁止だが、飲み物は何を飲んでも良い、私語は禁止、疲れたら外で適当に休んだり体を動かすのは全く問題なし、坊さんは二時間ほどで帰る。
ちょうど12時くらいなので、八時間はたっぷりある。クソッタレ。
坊さんは私達をまた霊安室に入れた。坊さんはまず親父さんの死体に話しかけた。
内容は仏教用語が多くてほとんど聞き取れなかったが、大まかにはあなたは死んだので成仏しなさいウンタラカンタラ これから天国までの道のりはどうのこうの、親族や仙女が出てきてもそれは悪魔の誘いなので気をつけろとかそんな事を20分くらい話していた。それが終わるとまたワンフレーズ念仏の開始だ。
三姉妹の一番上の叔母さんが全員にペットボトルの水を買ってきて配った。私には最初に水をくれ、ちょっと外で安んでいいと言ってくれた。
ワンフレーズのお経を唱え続ける、よっぽど悲しくない限り眠くてしょうが無い。お母さんと女と兄貴の悲しみのテンションはMAXIMUM!!水も飲まずにぶっ続けで唱えまくってる。私と坊さんのテンションは勿論低い。兄妹たちもテンションはだいぶ低め。だいぶ前からあれだったのでみんな覚悟ができてたからだろう。
私は眠らないように水をガブ飲みしたり、水で顔を洗ったり色々としていた。坊さんは普通に寝ていた。坊さんは特にお経の声がデカイので寝ると直ぐにわかる。
坊さんも帰って深夜二時。私はコンビニでコーヒーとレッドブルをがぶ飲み。
お母さんと子どもたちはガンガンお経を唱えてるが、他の親族たちは私と同様で大分疲れてきた。外に休憩に行ったり、うたた寝したり。
後二時間という所で女が私に何で出たり入ったりしてるんだとお母さんが怒ってるとごちゃごちゃ言い出した。私は坊さんの言うとおりやってるだけだと言ったが、二時間ほどは我慢して座っていた。
朝8時、ドアが開く。病院の職員が来て死体の確認を兄貴とやっている。イエー!!やっと終わりらしい。次に入ってきたのは葬儀会社の連中、また死体に話しかけている。今からどこどこに行きますどうのこうのという感じ、これも五分くらいの長さで私はイラついた。
それが終わりやっと死体を移動専用のストレッチャーに載せかえる。ストレッチャーの四方には棒があり専用のカバーを被せると見かけは棺桶に入れたみたいだ。
車で30分くらいの移動。道中は何故か坂に差し掛かると中の人間が一斉に死体に”坂だよー”と叫んだ。
着いたの葬式場+火葬場+死体安置所の総合施設。
簡単な手続きを済ませて死体をテレビでよく見るようなロッカータイプのヤツに放り込む。その時にもまた死体に話しかける、これも長い、5分くらいあった。内容は毎回毎回同じような感じだ。頭にくる。
放り込む寸前、死体を包んでいた布から親父さんの顔が見えた。死んだ直後、口が半開きだったが閉じていた。私は口が開きっぱなしだったので死後硬直したら面倒なことになると心配していたが、自然に閉まるものらしい。(あとからみんな話していたが、口と目が自然に閉じていたのは朝まで念仏を唱え続けた結果ということらしい。また浮腫んでいた顔も治っていたとみんなびっくりしていたが、顔の浮腫は念仏を唱える頃には治っていたのを私は見ている。)
ここで一時解散だ。
女と二人で家に帰る。ストレスとレッドブルとコーヒーが私の胃を痛めつけている。クソッタレ。
私と女はシャワーを浴び、ベッドに入った。私はこれからの予定を聞いた。
今日は午後から兄貴の家に行く。兄貴の家には祭壇が作られているのでまた今日の夜と明日に念仏をやるだろうと言う。私はゲロを吐き散らしたくなるような衝動を覚えた。
すると女が今日のようにごちゃごちゃ動くなと私に言った。私は父親が死んだばかりの女を気遣ってやりたかったが、マジギレした。今日と明日の為にも。マジギレした。(台湾に来てからのストレスが頂点に達した、ちょうどこの時に)
私は眠気を抑えるための最大限の努力を行っただけであり、休憩だって五分以上はとってない。
女はシクシク泣いて喧嘩したくないと言った。
私は今日と明日の念仏を乗り切るには、下らん文句を言わせてはマジで現場でキレそうなので、更に泣いてる女に言った。私に文句を言う前に、寝たりらいちょこちょこ外に休憩をとりに言っていた実の兄妹たちに文句を言え、と。
女はまたごちゃごちゃ言っていたが、私も強く言い過ぎたと謝り、喧嘩は終わった。喧嘩と言うよりは私が女を泣かしただけだが。
二人で二時間ほど眠った。
起きたてから、親父さんの葬式に使う写真やお母さんの服などを探す。その時に女が札束を発見。札は人民元だ。財テクだけが趣味の奴が死ぬと虚しいと思った。
兄貴の家へ。葬儀会社(この時にわかったのだが正確に言うと仏教団体の葬儀部門なのらしい)が祭壇を作っていた。祭壇が作り終わると私達に朝昼晩フルーツを捧げてお経を唱えろと言い残して退散していった。
取り敢えず昼の一発目のお経を唱える。この時初めて朝まで唱えていた念仏のフレーズが何なのかわかった。南無阿弥陀仏の阿弥陀仏だった。
どうやらみんなで10分くらいのお経を唱えるだけで、昨日様な事はしないらしい。
それからはただまったり。兄貴夫婦の赤ん坊の面倒みたり、訪れた親戚たちの相手をしたり。
夜、晩飯を喰ってみんなで念仏を唱える。時間があるので30分くらいのバージョンをやる。各個に勝手に唱える感じで、赤ん坊がないたら中座したりと適当な感じ。イマイチどんなテンションかわからない。
それから女と私は原付の乗って赤ん坊の靴を買いに行く。そいう習慣らしい。
帰って来たらみんな爆睡。私は木の長椅子にタオルケットを敷いて、更にその上に敷いた寝袋の中で眠った。

2013年3月8日金曜日

回線業者がやって来てぶつ切り回線を直していった。昼には電気屋が来るはずだが、4時くらいまでこなかった。これが台湾だ。
来たら仕事はちゃんとヤッてくれて、やっとマトモにネットが出来る状態になった。
夜、再び病院に行く。その道すがら女が私にお母さんがもっと親父さんに話しかけるように言っていたので、今日は親父さんに話しかけるようにと言った。
私はモルヒネでラリっていて話しても無駄だと思っていたが、話しかけたほうがいいらしい。今更言うなという感じで私は少しかちんと来た。
病院につく。ここらへんは標高が高いので原付で来ると寒い。
病室に入るとベッドで知らないオッサンが眠っていた。アレっと思ったが、それは親父さんだった。顔が異常に浮腫んでいる。特にまぶたが腫れていて別人の顔になっていた。
お母さんが私達に水を飲ませる時は、スポイトを使えと言い残して帰っていった。もう何をする力も残っていなのだ。
私と女は親父さんをマッサージした。私はマッサージをしながらもう早く楽になって欲しいと思った。口には出せないが。
それから一時間ほどして看護師が体温と血圧を測りにやって来た。体温は異常なし、血圧は二度測ったが両方とも低いほうが66とか70とかだった。看護師は医者を呼びに行った。
五分もしないうちに医者の代わりにテレビでよく見る機械を押して戻ってきた。電気ショックをやる除細動器ってやつだ。遂にか、と私は思った。
看護師は一応ダイジョブだと思うけどこれを設置しますねと、親父さんのベッドの横に置き、それを親父さんにつないだ。除細動器からは親父さんの鼓動をモニターし始めた。正常に動いている。両方共。
私は女にお母さんに報告するように言った。女は心配させすぎるといけないから止めておくといった。女はよく嫌なことを見ないようにする。
私は絶対に電話しろと強く言った、事実は言うだけでいい、と。女は電話した。
私は大丈夫そうなので原付の移動とメールのチェックに行くと病室を後にした。今日も長い夜になるだろうと私はセブン-イレブンで牛肉面にソーセージをぶち込んでそれを腹にぶち込んだ。
PCを開いて直ぐに電話がなった。女だ。女が言った、もう直ぐ爸爸が死ぬと。
私はPCを手早く片付けて病室に戻った。
病室に入ると女と看護師が口を大きく開けて目は半開きの親父さんの服を脱がしていた。こっちの人間は死ぬ時は家で死なせる、女もさっきそう言っていたので帰る準備をしているのだと思った。
除細動器から聞こえる鼓動の音はさっきのペースの半分くらいだった。
女が私を見て爸爸が死んだと言った。
私は服を脱がすのを手伝った。女が除細動器のケーブルを親父さんから剥ぎ取ったら、看護師が飛んできてまだダメだとケーブルを付け直した。
女は何か事務手続きをしてくれと言われて病室から出て行った。私は荷物を片付け始めた。
しばらくすると兄貴とお母さんがやって来た。お母さんは親父さんの手を握って泣いていた。
気がつくとケーブルはすでに撤去されて親父さんは静かにベッドで死んだように眠っていた。
私はその姿を見て思った。アレもう死んでねぇ?
どうみも体は微動だにしていない。触ってみたが動いてない。ゴミを捨てに行ってるうちに死んでしまったのか?だが親父さんが死んだかどうか聞ける雰囲気ではない。でもついさっき看護師も話しかけてたのにな。
五分後くらいに私と女が荷物を車に詰み行くように言われたので、私は女にこれからどうするのか聞いた。家に戻るのか?と。
女は多分、葬儀場に連れて行くという。私は家には行かないのかと聞いた。もう間に合わないと女は言った。どうとも取れる返事だ。
私はハッキリと聞いた。親父さんはもう死んだの?と。
女は私が病室に帰ってくる前に死んだと言った。ほんの10秒くらいまえらしい。だが除細動器からは親父さんの鼓動をモニターするビープ音が鳴っていた。女にこのあともいろいろ聞いたが女も混乱していたので親父さんがどこのタイミングで死んだのかはよくわからなかった。細かい話なので私はもう気にしないことにした。
荷物を車に放り込んで病室に戻ると病室は空。看護師の話ではどうも遺体安置所にいったらしい。
安置所には仏教の祭壇があり、三蔵法師みたいな仏像が祭ってあった。その前に親父さんの遺体は黄色い布にくるまれ安置してあった。
安置所には一フレーズだけを永遠に繰り返すお経みたいなのが流れていた。
お母さんは手を合わせてそのフレーズを繰り返していた。女は爸爸はナントカナントカの仏教だからアミトフと唱えてと私に言って、お母さんと一緒に手を合わせてそのフレーズを繰り返し始めた。私もそれに習った。
私は親父さんが包まれた黄色い布を見ながら、まったく悲しくなかった。義理の親子といっても付き合いは浅かった。知り合ったのは4,5年前だが会う機会は殆ど無く、一緒に暮らしたのも一ヶ月足らず。腹を割って話したこともなかった。顔見知りのオッサンが死んだくらいの感じだ。
そんな事を考えていると次々と親戚が入ってきて、念仏を唱えだした。
私は思った、まさかこれ朝まで続くの?

2013年3月7日木曜日

朝、病院から帰ってくる。眠る。眠る。少しだけ。
女は仕事へ、午後やっとネットの回線の業者が来る。
無線LAN機能付きのゲートウェイだったが、無線LANの申請をしてないので使えないようにしてあるからと業者の兄ちゃん。申請すれば10日後くらいにまたきてやってやる、でも月額費用が増えるからと続けて、さっさと帰っていった。
無線LANルーターはあるが、無駄に二台無線LANルーターを連ねてもどうしようもないので、自分で弄ってみる。
ブラウザからは接続できたので、中の設定を色々弄ってみるがどこかわからない。有線でネットに接続して色々調べて見たが、調べている間に回線がたまに切断される。
女が夜帰ってきたら、私は解約してしまえと女に言った。女はサービスセンターに電話したが、明日回線は業者を派遣してなんとかするとヤラれてしまった。
無線LANの設定も近所の電気屋に設定してもらうからと女。
私は渋々だが納得した。

2013年3月6日水曜日

夜。女が帰ってきて病院に行くと言った。私が病院お泊りグッズを準備していると顔見に行くだけだからと直ぐ帰ってくると言うので、私は財布だけポッケットに突っ込み原付にまたがった。
病室に着くとお母さんと兄貴が帰り支度をする。荷物でも取りに帰るのかと思っていたが、女と明日の朝6時くらいには来ると言っている。
どうもついさっき気が変わったらしい。クソッタレめ。暇つぶしお泊りグッズは置いてきた。
親父さんに目をやる。驚愕。頬は更に痩けこて、こめかみの辺りも痩けて頭蓋骨の輪郭がはっきりしている。目と口は半開きで、半開きのまぶたから覗く白目は黄色く濁っている。鼻にはチューブを入れらていた。
私が呆気にとられていると、お母さんが親指よりデカイ綿棒に水を浸して、親父さんの口に突っ込むと親父さんは餓えた子犬みたいにしゃぶりついて水を飲んだ。生きているのではなく、生かされいるだけだ。
お母さんと兄貴が帰りしばらくすると、親父さんが目を開き私達に”再見、再見”と言った。その後私達に早く行け、早く行けと繰り返し、自分も立ち上がってどっかに行こうとした。勿論、自分の力で歩けないので何処にも行けなかったが。
モルヒネでラリった親父さんは朝まで自分が何をしたいかわからず、混乱していた。
小便をしたいといってズボンを脱いでも、直ぐにそれを忘れてズボンを履きそのまま便器に座り、その後また何をしていたか忘れてベッドに戻ったりと、朝までそんな事を繰り返していた。

2013年3月5日火曜日

女を送り出して洗濯やら何やらを済ませて、コンビニへ行く無線LANを求めて。ケーブルテレビを解約したのでネットが使えないのだ。水曜日か木曜日に新し会社が設置に来てくれるらしいが。
昨日の就職会社に応募する会社用の自己アピールを書いて送る。
家に戻り、この家で唯一価値のある50インチのテレビ映画を見ながらダラダラ過ごす。
女が帰って来て一緒に飯を喰う。その時にふと女が、私の台湾でのこの家の生活がのんびりリラックス出来ていいでしょう、と言った。いどない。私にとっては、潔癖症の変人夫婦が住む窮屈な暮らしでしかない。変人夫婦は今は居ないが、その夫婦の受け入れがたい規則は残っている。
私は正直に女にその事を言った。自分の家で有るという感覚は一切ない、お前と一緒だから辛うじて我慢している。
女は私の言葉にショックを受けたようだが、理解してくれた。
夜、お母さんから電話。女が話し込んでいる。電話を切った女にどうだったと聞いてみた。
すると女が内容を教えてくれた。お母さんが今日全ての株券を金に変えてお母さんの口座に入れた。しかしその金額は兄には決して言わないこと。
私はなぜだと聞いた。兄貴は知っていも何ら問題のない事柄だ。母親から遺産を根こそぎもぎ取っていくような男ではないし、両親との関係も良好だ。
女が言うには、お母さんは入院してから全く金をだしてくれない兄貴に相当苛立っているらしい。加えて兄貴が一度も泊まりこみで親父さんの世話をしていないのにも怒っている。それで大金をもっていると兄貴にしれると、これから更に金を出してくれない、すると大事な老後の資金から出さざる得ない、これがお母さんは嫌なのだという。
私は兄貴夫婦は両親にマンションを買ってやっただろう、それだけでも十分じゃないかと女に言った。女はそのマンションは兄貴名義だから買ってやったとは違うという。さらにマンションを買うときにちょっと揉めたらしい。
女の両親は親父さんの調子が悪いのでエレベーター付きのマンションを買うように兄貴夫婦に頼んだ。兄貴夫婦が住むマンションに空き部屋があるのでそこが良いと。兄貴夫婦は一緒に住めばいいと言った。5部屋はあるし十分な広さだから私はまっとうな返答だと思う。
しかし女の両親は同居は兄貴夫婦に悪いので新しいマンションを買えという。買わないなら今住んでいるマンションを売り払って買うと兄貴夫婦に迫った。私はそっちのほうが兄貴夫婦に悪いだろうと思うが。
今住んでいるマンションは両親が相当苦労して買ったのを兄貴夫婦は知っているので、新しいマンションを兄貴夫婦は買ったのだ。
なるほど兄貴夫婦が金を出さないわけだ。私だって同じ立場なら出さない。しかも女の両親は金がない分けじゃないのだ。
私は女に兄貴夫婦に同情するといった。まったく心の底から同情する。
ちなみに親父さんはもう相当ヤバイらしい。最近は女もよく葬式の心配をしている。

2013年3月4日月曜日

今日はやっとビザ―居留証を取りに行く。やっと。
私は朝、女を仕事に送り出し、家庭菜園に水をやると家を出た。
三度目の移民局へ。受け取りの窓口で直ぐにそれは手に入った。
居留証はカードタイプだ。そこにはもっとも重要な事が書かれている。”これを所持している人間は労働ビザのの許可・申請を必要としない”
裏にも”これを所持している人間は期限以内なら何度でも入国が可能である”
一年後にはまた延長申請が必要だ。次の申請は3年目の期限で申請ができる。5年経つと延長申請は不要になる。
これを手に入れるのに手間だけはたっぷりと掛かった。私はテンション高めに駅まで歩いた。
今日はもうひとつ用事がある。新しい就職会社に登録してその面談行く予定だ。
モスバーガーでメシを食いながら、道を調べる。簡単な道だ。
約束の30分前に頭に叩き込んだ地図の場所に行く。ない。慌てて会社の住所と目の前のビルの住所を見比べる。全然違う。これは多分駅から全然違う方向来たなと思い控えす。
引き返す道すがらいろいろ地図を見て調べるが、全然全然わからない。
駅まで戻ってやっと正しい方向がわかった時には、遅れそうだったので遅れると電話。やっと辿り着く。思っていたよりも糞でかいビルにオフィスをもってる。
担当者は女性の日本人で20分くらい経歴の説明をする、後半は中国語のレベルを確かめるために中国語で自己紹介とか自己アピールをさせられ、質問とかをされる。一応問題ないといわれる。
取り敢えず今紹介できる会社として2つの会社の資料を見せてくれた。一つはネットゲームの会社で日本のユーザーの対応をするような仕事。もう一つは日本のリフォームかなんかの会社で現場で日本の社員と台湾の作業員の簡単な通訳とか作業の監督をするような仕事。
取り敢えず両方応募することにして私は家に帰った。

2013年3月3日日曜日

病院から帰ってくる。ここ一週間、腰がひどく痛む。痛む。
病院で止まっている時に変な姿勢ばかりで寝ていたので、それが効いてきたんだろう。
私は元々腰を痛めていてたので、何かキッカケがアレば直ぐにぶり返す。ちょっと前かがみになるだけでも痛い。これはヤバイので女に針に連れてってくれるように頼んだ。
数年前、東京で働いていいた時に肩こりと腰痛が酷い時があった。その時ちょうど台湾に女に会いに行ったのだがその時に、女の実家の近くの針の病院に行ったのだが、一発で治った。
そこの医院長がかなりのもんで、その病院は行列ができてる。
医院長の針の打ち方はちょっと変わっていて、何処が痛かろうが、右手の指の付け根の間に4,5センチの針をぶっ刺す。そしてその針にお灸をさす。
さほど痛くはないのだが、針が神経と神経の間に入ってくる感覚は愉快なものではない。出来れば腰にでも指してくれれば(他の病院では腰にしてくれた)見えなくて痛さも殆ど無いのだが。しかし効果は抜群、折り紙つき。その針治療を受けた後に女にマッサージをしてもらったのだが、いつもなら痛くて悲鳴を上げるのだが、女がどれだけ渾身の力を込めても私は何の痛みも感じなかった。
女と一緒に原付で病院へ。相当待たされやっと治療。
こっちの医者は診察の時に手を握る。手を握れば症状が分かるらしい。医者は何処が痛いのか簡単に質問し、手をちょっと握ってわかったという感じで、私の手にアルコールを塗り始めた。
私がクソ!やっぱり手かと思った時には、手に痛み。小指と薬指の間に鈍いような激しいようなわけの分からない痛み。思わず声が漏れ、私は俯いて目を瞑り苦痛に耐える。
前回より明らかに痛い。医者は次々と私の拳に貼りを挿していく。気がついたら五本の針が私の拳に刺さっている。
医者が女に何か言ってるが、拳の奥の”鋭い鈍痛”と矛盾した形容詞でなければ表せない痛みで何も耳に入ってこない。
10分くらいそこらを歩いて来いと最後に言われたのは分かったが。外に出ると看護婦が針にお灸をぶっ刺して火をつけた。
外に出ようと入り口までいったが、風が強い。私は風の針が振動が伝わると想像すると外に出るなどという気は完全に失せた。しょうがなく待合室をウロウロ。小学生の女の子が私のその様を見て怯えていた。
そろそろ10分かと針を抜いてもらいに診察室の近くにいったら看護婦がちょっと横になって待ってくれという。私は女に靴を脱がしてもらいベッドのうつ伏せになる。
しばらくしてまた看護婦。医者がだいぶ痛そうなので特別になんかしてくれるという。
直ぐに医者が来て私の膝の裏とふくらはぎの裏に針を打ち始めた。多分合計10本くらい。一箇所だけまた痛みを感じ、私は声を上げた。女が20分くらいはこのままだという。クソったれ。
その20分の間に女が説明してくれた。痛めた腰のアタリの血管の汚れた血を抜いているのだという。私は見えないし何も感じないのだが今出血してるらしい。どす黒い血が。
小指と薬指の間の針が痛い。手の甲の一部が細くエクボの用に凹んでいる。ここ抜く時はまた痛いんだろうと考えると、抜いてほしんだか抜いてほしくないんだか。
20分後、唐突に医者が現れ、針をさっさと抜き始めた。そして唐突に右手に一瞬、神経をグリグリと何かされたような嫌な痛み。終わった。
一週間分の漢方薬も貰って700元。健康保険があればもう少し安いらしいが、漢方薬の量を考えると結構サービスしてくれたようだ。
効果は直ぐに出るから良い。前かがみになってもほとんど痛みは感じない。
医者が言うには、最大の原因は運動不足、背中の筋肉が硬くなってるのだ。私は帰りにジャージを買って明日の朝から運動することにした、

2013年3月2日土曜日

女と親父さんの病院へ行く。病院に行くたびに親父さんは痩せていたが、今日は前と変わった印象はない。痩せる限界が来たんだろう。
今日は妙に元気そうだ。元気そうだ。妙に。
いつもは喋るのも苦痛なので、ちょっとしたジェスチャーしかしないのに、私にすまないねぇなどと言葉を掛けた。更に書くものをよこせと言い、今は時期が悪いから元は買うなとか、プラチナの結婚指輪を買ったほうがいいとか色々と言い出した。
前は小便をする時はベッドの横の簡易便器に座ってしていたが、今日は豪快に立ちションだ。お陰で何回も女は床にこぼれた小便の掃除をするは目になった。
いつもはどれだけ進めても何も食べないのだが、今日は自分から梨が喰いたいと言い出し、いつもに比べれば豪快に食べた。といっても普通の人間なら一口か二口の量だったが。
女が私に今日はモルヒネを打ってるのでオカシイと私にそっと教えた。

しばらくすると親父さんは眠った。それから直ぐに生暖かい屁の音がした。これは漏らしたなと私は思った。布団をめくってみると案の定だった。私は女に看護婦を呼ぶよう言った。
看護婦さんに手伝ってもらい後始末。女は何の躊躇いもなく親父さんの汚れた尻を拭いた。
尻を拭く以外の事は、私も手伝い看護婦さんと三人でオムツを履かした。オムツを履かしてる時にも親父さんはクソを漏らしていた。それをみて女は看護婦さんと笑っていたので、私は少し安心した。

2013年3月1日金曜日

今日は祝日と週末に挟まれているので、本来は何でもない日なのだが、ほとんどの会社は休みになる。らしい。日本だとせいぜい有給取得推奨日程度だろうが、普通に休み。女も休みだ。
女がネットを新しい会社に切り替えるので、今のネットを解約しに行くと言い出した。今はケーブルテレビとネットのセットだ。テレビをふたりとも見ない。
周辺機器を全部取り外して直接持って行って解約処理をしなければならない。あと兄貴が契約したので、兄貴の身分証明書のコピー等アホみたいにいるものが多いので、その手配だけで午前が終わった。
原付でケーブルテレビの会社へ。結構な数の人間が並んでいる。
あと少しでと言う所で女がどうやら印鑑が必要だと、他の人を見て気がついた。そう台湾にもこのクソ面倒くさい習慣がしっかりと根づいてやがる。
そこらで買ってくるとでていき、私は一人でずっとKindleで三国志を読んでいた。
結局全て終わった頃には5時近く、本当は私のビザ―居留証を受け取りに行くはずだったが時間切れだ。月曜日にでも取りに行けばいい。

2013年2月28日木曜日

深夜プラスワン―引き続き病室。
ここにいてやることは親父さんがトイレに行くと時に手を貸すだけ。朝までに10回くらいはトイレにいくのでほとんど眠れない。
ベッドの脇には簡易のトイレが置いてある。椅子に取り外しができる洗面器みたいなものがついたもので、お母さんが入院して直ぐに買ったものだが親父さんはずっと使うのを拒否していた。
だが今日はベッドから手を借りて立ち上がると、簡易トイレを指さした。もうトイレまでの数メートルも耐え難い苦痛なのだろう。
今まではトイレに連れて行くだけだったが、プラス簡易トイレの掃除もすることになった。と言っても掃除の方は女が全てヤッてくれたが。
朝になる。浅い眠り。メシの買い出しのついでにセブンの激辛おでんを喰う。
お母さんが午後には来る予定だと聞いていたが、その前に兄夫婦が子供をつれてやって来た。初孫を見て親父さんが久しぶりに笑っていた。私はiPod touchで二人の写真をとった。
兄夫婦が引き上げると、親父さんのお兄さん夫婦がやって来た。私にとっての義理の伯父だ。夫婦で簡単な日本語が喋れるらしく私に日本語で話しかけてくれた。
伯父は私に結婚祝だと綺麗に包装された小さな箱をくれた。私は面倒なことが嫌いなのでこういうものはさっさと受け取り、礼を言う。
女にも何か渡している袋に入っていて、どうやら中身はお茶のようだ。女は申し訳ないと断固として受け取りを拒否している。私はお茶くらいなのだからもうそこら辺で受け取れよと見ていたが、そのうちに泣きだし、伯父伯母にしっかりとだきしめられ、私たちはお前の親みたいなものなんだからねと慰められている。私はぽかんと蚊帳の外だ。
女はやっと結婚祝いを受けとった。伯父伯母は帰っていった。
女にどうしたのか聞くと、結婚祝いの中身はお茶ではなく”金”だった。台湾ではそいう習慣があるらしい。普通なら結婚式をあげるのでそれでトントンという計算なのだが、私たちはその結婚式を挙げないので受け取るのは申し訳ないと、押し問答になった末に感極まって泣いたらしい。面倒くさい。
ちなみに私へのプレントは音楽と言っていたので、何かと思っていたら1TBの小型HDDだった。中に170Gの音楽がたっぷり詰め込まれていた。イイね!HDDと金はいくらあっても困らない。そのうえUSB3.0と更に気がきいてやがる。

2013年2月27日水曜日

明日が台湾の祝日なので夜は病院に詰める事になった。昼は家庭菜園の世話とかしてまったりと過ごす。
夜、病院へ。
この病院はデカイ。恐らく敷地は東京ドーム何個分とかだろう、変な出口から出ると何処にいるかわからなくなる。
親父さんの頬はさらにゲッソリと痩けていた。それに反比例して腹は膨張している。水と腫瘍がたっぷりつまっているのだ。たっぷりと。親父さんは今はただ苦しむだけに生きてるような物だ。
マッサージをしてやると感触は、骨とささやかな贅肉だけ。筋肉はもうない。私の死んだ二人の祖父も死ぬ前はこんな体だった。
今ではしゃべるのも苦痛らしく、ほとんどジェスチャーで意思を伝える。
女は病室に来るとずっと食べるように親父さんに言うが、親父さんは全く食べないし、薬も半分くらいしか飲まない。
頑なに食べ物を拒否する姿を見て私は親父さんはカタを付けようとしているのだと思った。

2013年2月26日火曜日

朝起きて女が仕事に行く。家庭菜園の世話をさらっと済ませてコンビニへ。朝飯だ。カップ麺に唐揚げをぶち込んでおにぎりを喰う。
家に帰ると就職会社から連絡。車の運転の免許がどうのこうの。面接とかは来週になるだろう。
日本でHDDの放り込んだ映画を観る。『青い塩』―テンポが悪い、これは役者が下手だったら話にならなかっただろう。
いつの間にか昼。近所のバイキング形式の飯屋でテイクアウト。今日も60元。
女の実家には50インチのテレビがあるが、私がここに来る今の今までその真価を発揮したことはない。今までは親父さんとお母さんが仏教団体が作ってるしょうもないホームドラマを観るのにしか使ってない。ドラマの内容は、働き者の七三分けの兄弟の日常だ、何故か異常にキレやすい女を女房にしており、毎回キレた女房を家族でなだめすかすという内容だった。面白くもなんともないのだが二人は大爆笑してみていた。最後には兄がいきなり血液癌になり死ぬ。その展開を見ていた末期がんの親父さんが私に「これが人生だよ」と言った。私は確か「ああ」とだけ返した。
そんな状況なので50インチのハイビジョンが生かされたことは全くない。何で50インチを買ったのかも疑問だ。
だが私が来たからには安心したまえ、その真価を遺憾なく発揮することができる。私はPS3を繋げた。
午後、まるまる映画を見て過ごす。
夜、ベッドで女と話す。私はこのマンションが自分の家のような感じがしないから落ち着かないというような事を話した。その話が発展しこれからの話になる。お母さんがどっちに住むかだ。
元々の予定は兄夫婦と同じマンションに買った新しい部屋に二人で住む予定だったが、親父さんはもうそこに住むことはない。兄貴はその部屋を人に貸すつもりだ。
となると、兄夫婦のマンションか、古巣のこのマンションに住むかどっちかになるのだが、兄夫婦のマンションは孫の面倒を見なきゃいけないので疲れると言っているのでこっちに戻ってくるかもしれないという。最悪の事態である。長男の所で預かってよというのが私の本音だ。
私の本当の希望は引越し、だ。だがそれもお母さんに強固に反対されるのはわかってる。金がないのだからタダのここに住んで貯金しろというわけだ。
だがせめて自分の部屋くらいは欲しいもんだ。今一室をあてがわれて入るが、荷物を整理しておているだけだ。
しかも整理の仕方にも文句を付けられる。前スーツケースを物入れ代わりにベッドの脇においておいたらお母さんがしまえと文句を言っていると女に片付けさせられた。革製のアンティークな感じのスーツケースなので上手く使えば部屋のインテリアにもなる。のでそういう使い方をしてるのだが、理解はされない。されない。
なので私は居場所を失ってしまったのだ。また。

2013年2月25日月曜日

月曜日。だが女は免許をの試験で休み。私も毎日が日曜日。
朝、女は試験に出かけて行く。私は読書しなながら眠ったようだ。
昼過ぎに女が合格して帰ってくる。女と家庭菜園の世話。虫だらけだとキレる女、私は適当にやってるから当然だ。親父さんとお母さんは日に三度は水をやって虫もとっていたらしい。初めて知った。私は朝一回だけだった。
これから一日五回虫をとれと言われる。わかったと答えたが、いっその事全部喰われちまったほうが面倒が無くていい。
午後に就職会社と連絡。日系企業の物流会社二社に履歴書の送ってくれるという。

2013年2月24日日曜日

朝、病室―お母さんと入れ替わりで、女と家に帰る。
女はすぐに自動車学校に行く。私は家庭菜園の世話。
女が帰ってくると、飯。明日は免許の試験らしくネットでずっと模擬試験をやっている。
台湾の免許とるときに路上教習がない。来年からその制度が変わるらしく女は駆け込みで免許をとる。
今日は最後の教習で教官から、これからも会いたいとか色々誘われたと言ってた。教習中もずっとドライブに行こうとか誘われていたと聞いていた。日本ならセクハラであっという間に首になりそうだが、はやり緩い。

2013年2月23日土曜日

土曜だが女は旧正月の休暇の関係で出勤。
私は一人で留守番。外で飯を買ってきて喰う。喰う。これは女に禁止されている行為。知ったことではないが。
夜女が帰ってくる。今日はまた病院に行く予定。出発前に親戚、父方の叔母から電話だ。女を病院まで車で送ってくれるという。
女は父方の親戚にはまだ私のことは話してないので、私はバスで一人で病院に行けという。父方の親戚はうるさ型だから、らしい。
バスで一時間、病院につく。親父さんは今日からちゃんとした病室に入院している。前の救急冒頭よりはずっとマシだが、隣では爺さんずっと騒いでいる。(あとで聞いたら爺さんが勝手に点滴を引きぬいて血まみれになったりと大変だったらしい)
2日程度しかたっていなかったが親父さんの頬は痩けていた。腹に出来た腫瘍が広がり飯を喰うのも水を飲むのも苦痛だ。飯も2日に一回程度お粥を何とか食べるだけ、このまま行けば飯を食えなくなってチューブだらけになるのもそう遠くはないだろう。
Kindleで警官の血を読みながら朝を待つ。

2013年2月22日金曜日

―引き続き病院。
iPodで音楽を聞きながらKindleで横山秀夫の64を読む。読む。ド深夜一人末期がんの義父が眠るベッドの脇で泣く。泣く。64に感動して。
朝がた抜け出し、コンビニで激辛おでんを喰う。
10時くらいにお母さんが交代に来て、私はバスに乗って帰った。
暫く休んでから履歴書に中国語訳をつけて就職会社に送る。

2013年2月21日木曜日

連絡した転職会社から履歴書の職歴の欄に中国語訳をつけて送れとメールが来る。
女に手伝わせるほうが良いと判断し取り敢えず女が帰って来てからやることにして、昼間はのんびり家事をして過ごす。
女が帰ってくると、メシ喰ったら親父さんが入院した病院へ行って朝まで親父さんに付きそうと私に言った、私もだ。
親父さんは二日前に入院していた。
女とタクシーで、林口という台北の郊外の病院へ移動。
また病室が空いてないので親父さんは緊急病棟の狭いベッドに寝かされいてた。だだっ広い部屋に100人は寝かされている。隣とは血のついたカーテンで遮られてるだけだ。
親父さんはまたさらに痩せていた。今年60歳なのだがもう75歳くらいに見える。起き上がるのに人の手を借りねばならないくらい弱っている。
左隣では妊婦が涙を流しながら荒い息でうめき声を上げている。右隣では爺さんが一晩中呼吸器を外そううとして看護師ともめている。遠くからも呻き声が聞こえてくる。わけの分からない機械のビープ音に生命維持装置のビープ音。とてもじゃないが落ち着いて寝られる状態じゃない。
親父さんは眠ったり起きたり。ときどきトイレに行来たがるので連れて行った。

2013年2月20日水曜日

すっかりのんびりとした生活が馴染んでしまい、今日からバリバリ就職活動をしなければならないのだが、ローテンションの朝。
朝、女を送り出し、家庭菜園の水やり。何と
親父さんとお母さんが引っ越してからは私の仕事だ。
その家庭菜園のプチトマトが枯れかけているとお母さんが言っていたと女から文句を言われた。今日見たら葉っぱが萎れていた。
毎日水を上げているのだから普通は気がつくのだろうが、全く興味が無いので、気が付かなかった。
なんとなーく映画を見始めて、気がついたら昼。近所の自助餐と呼ばれているバイキング形式の飯屋でテイクアウト。そこそこ取ったが60元だったので日本なら200円もしない。
メシを喰って日記を書きまくる。もう夕方。
やばい、何もしていない。結婚してから連絡するということになっていた転職会社にメールを送る。
女が帰ってくるのに合わせてメシを作る。返ってきた女と飯を喰う。
女が旧正月が開けたのでお参りに行くというので、原付の後ろに女を乗せて、近所の廟へ行った。