2013年3月9日土曜日

深夜プラスワン―引き続き・霊安室。アミトフのワンフレーズを唱え続ける。
次々と親族が来ては消えて行く。残るのは親父さんと直接血縁関係が人間だけ。三人の妹と兄夫婦が残った。
また霊安室のドアが開く、変な布を体に巻いた坊主頭のデブがいる。よく見るとそいつは袈裟だった。坊さんがやって来た。
坊さんはお経のボリュームをマックスに上げ私達を外に出し、この儀式の説明を始めた。朝の8時に遺体を取りに来るまでこのイカレた儀式を続けるらしい。私も死にたくなった。
坊さんは中での規則の説明をした。今まで立ってやっていたが座っても良い、中では喰うのは禁止だが、飲み物は何を飲んでも良い、私語は禁止、疲れたら外で適当に休んだり体を動かすのは全く問題なし、坊さんは二時間ほどで帰る。
ちょうど12時くらいなので、八時間はたっぷりある。クソッタレ。
坊さんは私達をまた霊安室に入れた。坊さんはまず親父さんの死体に話しかけた。
内容は仏教用語が多くてほとんど聞き取れなかったが、大まかにはあなたは死んだので成仏しなさいウンタラカンタラ これから天国までの道のりはどうのこうの、親族や仙女が出てきてもそれは悪魔の誘いなので気をつけろとかそんな事を20分くらい話していた。それが終わるとまたワンフレーズ念仏の開始だ。
三姉妹の一番上の叔母さんが全員にペットボトルの水を買ってきて配った。私には最初に水をくれ、ちょっと外で安んでいいと言ってくれた。
ワンフレーズのお経を唱え続ける、よっぽど悲しくない限り眠くてしょうが無い。お母さんと女と兄貴の悲しみのテンションはMAXIMUM!!水も飲まずにぶっ続けで唱えまくってる。私と坊さんのテンションは勿論低い。兄妹たちもテンションはだいぶ低め。だいぶ前からあれだったのでみんな覚悟ができてたからだろう。
私は眠らないように水をガブ飲みしたり、水で顔を洗ったり色々としていた。坊さんは普通に寝ていた。坊さんは特にお経の声がデカイので寝ると直ぐにわかる。
坊さんも帰って深夜二時。私はコンビニでコーヒーとレッドブルをがぶ飲み。
お母さんと子どもたちはガンガンお経を唱えてるが、他の親族たちは私と同様で大分疲れてきた。外に休憩に行ったり、うたた寝したり。
後二時間という所で女が私に何で出たり入ったりしてるんだとお母さんが怒ってるとごちゃごちゃ言い出した。私は坊さんの言うとおりやってるだけだと言ったが、二時間ほどは我慢して座っていた。
朝8時、ドアが開く。病院の職員が来て死体の確認を兄貴とやっている。イエー!!やっと終わりらしい。次に入ってきたのは葬儀会社の連中、また死体に話しかけている。今からどこどこに行きますどうのこうのという感じ、これも五分くらいの長さで私はイラついた。
それが終わりやっと死体を移動専用のストレッチャーに載せかえる。ストレッチャーの四方には棒があり専用のカバーを被せると見かけは棺桶に入れたみたいだ。
車で30分くらいの移動。道中は何故か坂に差し掛かると中の人間が一斉に死体に”坂だよー”と叫んだ。
着いたの葬式場+火葬場+死体安置所の総合施設。
簡単な手続きを済ませて死体をテレビでよく見るようなロッカータイプのヤツに放り込む。その時にもまた死体に話しかける、これも長い、5分くらいあった。内容は毎回毎回同じような感じだ。頭にくる。
放り込む寸前、死体を包んでいた布から親父さんの顔が見えた。死んだ直後、口が半開きだったが閉じていた。私は口が開きっぱなしだったので死後硬直したら面倒なことになると心配していたが、自然に閉まるものらしい。(あとからみんな話していたが、口と目が自然に閉じていたのは朝まで念仏を唱え続けた結果ということらしい。また浮腫んでいた顔も治っていたとみんなびっくりしていたが、顔の浮腫は念仏を唱える頃には治っていたのを私は見ている。)
ここで一時解散だ。
女と二人で家に帰る。ストレスとレッドブルとコーヒーが私の胃を痛めつけている。クソッタレ。
私と女はシャワーを浴び、ベッドに入った。私はこれからの予定を聞いた。
今日は午後から兄貴の家に行く。兄貴の家には祭壇が作られているのでまた今日の夜と明日に念仏をやるだろうと言う。私はゲロを吐き散らしたくなるような衝動を覚えた。
すると女が今日のようにごちゃごちゃ動くなと私に言った。私は父親が死んだばかりの女を気遣ってやりたかったが、マジギレした。今日と明日の為にも。マジギレした。(台湾に来てからのストレスが頂点に達した、ちょうどこの時に)
私は眠気を抑えるための最大限の努力を行っただけであり、休憩だって五分以上はとってない。
女はシクシク泣いて喧嘩したくないと言った。
私は今日と明日の念仏を乗り切るには、下らん文句を言わせてはマジで現場でキレそうなので、更に泣いてる女に言った。私に文句を言う前に、寝たりらいちょこちょこ外に休憩をとりに言っていた実の兄妹たちに文句を言え、と。
女はまたごちゃごちゃ言っていたが、私も強く言い過ぎたと謝り、喧嘩は終わった。喧嘩と言うよりは私が女を泣かしただけだが。
二人で二時間ほど眠った。
起きたてから、親父さんの葬式に使う写真やお母さんの服などを探す。その時に女が札束を発見。札は人民元だ。財テクだけが趣味の奴が死ぬと虚しいと思った。
兄貴の家へ。葬儀会社(この時にわかったのだが正確に言うと仏教団体の葬儀部門なのらしい)が祭壇を作っていた。祭壇が作り終わると私達に朝昼晩フルーツを捧げてお経を唱えろと言い残して退散していった。
取り敢えず昼の一発目のお経を唱える。この時初めて朝まで唱えていた念仏のフレーズが何なのかわかった。南無阿弥陀仏の阿弥陀仏だった。
どうやらみんなで10分くらいのお経を唱えるだけで、昨日様な事はしないらしい。
それからはただまったり。兄貴夫婦の赤ん坊の面倒みたり、訪れた親戚たちの相手をしたり。
夜、晩飯を喰ってみんなで念仏を唱える。時間があるので30分くらいのバージョンをやる。各個に勝手に唱える感じで、赤ん坊がないたら中座したりと適当な感じ。イマイチどんなテンションかわからない。
それから女と私は原付の乗って赤ん坊の靴を買いに行く。そいう習慣らしい。
帰って来たらみんな爆睡。私は木の長椅子にタオルケットを敷いて、更にその上に敷いた寝袋の中で眠った。

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