2013年2月13日水曜日

女と朝ホテルへ両親を迎えに行く。親父さんが病室に入れたら会う事になる。恐らく午後か夕方くらいと連絡があったので、女がそれまで飯喰って両親を猫空にでもつれてってお茶を飲もうと提案。
取り敢えずメシは日本人観光客のど定番・鼎泰豊に連れて行き、小籠包を喰わす。
それから猫空に向かう途中に、電話。病室が移れるかどうか分からないので体調がまだいいうちに来いという。
コロコロ変わりやがってと私は多少苛ついていたが、両親に異存がないので、病院へ向かう。
病院は台大病院。台湾で一番有名な病院。
私たちはロビーを抜けて救急病棟へ入る。廊下中にベッドが置かれヒトが寝ている。正月で医者の数も少なくこんな状態らしい。
うんざりするような病人と怪我人満載の廊下をずっと行くと、開けたスペースに5つほどベッドが置かれ、一番はじに親父さんがいた。
だいぶ体調は悪そうだ。私が日本に行ってからドンドン悪くなったと聞いていたが、思ったよりも悪いようだ。少し痩せて、朦朧とした喋り方になっている。
私は親父さんとお母さんに両親を紹介し、それからしばらく、こんなトコロで申し訳ないとか、挨拶が遅れて申し訳ないとかなどの社交辞令を通訳し続けた。何とも間が持たないので、私は直ぐにでも引き上げたくなった。
女に親父さんも疲れるだろうから引き上げようというと、もうちょっと、返事が返ってきた。
いきなり親父さんが両手を大きく広げた。何の意味かわからない。
女が近くによると、女の手と私の手をとって合わせて、親父さんは何か言った。何を言ったか忘れてしまった。忘れた。
私は親父さんにしっかりと面倒を見るから大丈夫だと答えた。親父さんがいつの間にか泣いている。お母さんも泣いている。女も私の隣で鳴き出した。
私は女に泣かれると弱いので私も涙ぐんだ。そして思った。私は果たして女と本当に結婚すべきだったのかと。女に本当にふさわしいのは、100人が100人あいつは本当に良い奴だ、と答えるような男だろう。
私は、そんな男ではない。決して。この結婚はここにいる6人にとって不幸なのことかもしれないとふと思った。が、人生に不幸はつきものじゃないか。
気がついたら母親も涙ぐんでいた。この会合のクライマックスを迎えた所でお開きだ。私の親父を見たが涙ぐんでもいなかった。
思えば親父が泣いたところを見たことがない。私は昔の男は偉いもんだと感心しながら病院を出た。
病院の出口まで送ってくれたお母さんが両手を振っている。この涙の会合の最後に両手を振ってというのは不似合いだが、お母さんの最高のアレなんだろう。

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