2013年2月19日火曜日

女を午後から仕事休ませて移民署へ行く。
配偶者さえ連れて行けば、手続きは進む。申請をすぐに終わった。3月1日に発行されるのでまたこなければならない。
結局、担当者に無罪証明書と戸籍謄本は結婚ビザの場合は不要と言われた。無罪証明書の為に二週間以上日本に滞在したのに、やれやれだ。しかも何処で聞いても必要書類の中に入っていたのに。これが台湾のお役所仕事だ。
家に帰り飯を食うと女が兄貴のマンションまで行って親父さんを見舞おうという、車で。
私はなんとかペーパードライバーを卒業したが、いきなり台湾で知らない道を夜走らせるのは自信がなかった。右側通行にもちょっと慣れてからと思っていたが、女は行く気マンマンだ。
結局私もなんとかなるだろうとハンドルを握った。左ハンドルに右側通行でボロ車に台湾の荒い交通事情。だが何とかなった。というよりついていたという方が正解だろう。
とにかく兄貴のマンションについた。親父さんは少し調子がいいようでメシを喰っていた。昨日と一昨日は一日で一杯の粥を喰うのが精一杯だったが、今日は椀に盛られたメシと野菜を喰っている。
ついでに兄夫婦の生まれたばかりの赤ん坊に初対面。
私が赤ん坊を見ていると親父さんが、お前も早く50000元くらい(15万円)の給料をもらえるようなったら子供を作れと私に言った。私は日本でその倍以上の金額の給料を手取りでもらっていたと心の中で毒づいた。
この死にかけのボケ老人は私を半人前扱いしたがるが、台湾に来たから私は半人前になってしまった事実を理解していないのだろうか?
さらに赤ん坊に何かプレゼントは買ってやったのかと続けたので、ちょっとムッときた。私はすでに赤ん坊の服を日本で買って手渡していた。
直ぐに姉さんが貰ったし、お父さんも見たじゃないとフォローしてくれたが、親父さんは何も言わなかった。
私は相当気が悪くなったので、帰るとき結構冷淡で女が後で文句を言っていたが、ほとんど無視した。
帰りは行きよりも相当慣れたので、スムーズに帰れた。車庫までは。
車庫は相当狭い。元々車の細かい運転が苦手な上に初めての左ハンドルで気がついたら思いっきり左のドアをシャッターにこすっていた。
その後悪戦苦闘しどう動いていいかわからず、三度ほどひどくこすった所で、その音を聞きつけた近所のオッサンが助けにやって来た。
オッサンは俺がヤッてやろうと私と運転を変わりさっと車庫入れしてくれた。私はあぁこんな簡単なのかと思ったほど。
さらにオッサンはコスってひん曲がったシャッターのレールをペンチを持ってきて直してくれた。
あまりにも親切なので女に知り合いかと聞くと、全然知らない人と言っていた。

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