2012年12月18日火曜日

STAR WARSを見ながら寝ていたようだ。朝六時に糞重いトランクと鞄を肩に掛け新宿に向かう、中身は数十冊の溜め込んだアメコミ。それが肩に食い込む。

いつもは深夜バスで実家に帰るんだが、深夜の移動は何故か寂しい。あの寂しさにたえるのが嫌で朝8時発のバスにした。いつもは最低の安い四列のシートの狭いバスなんだが今回は三列シートで足も自由に伸ばせる広いタイプのバスにした。座席には電源とWi-Fi。ずっと眠っていたので使うことはなかったが、バスに乗って初めて快適と感じた。

名古屋に着くと母親が向かいに来ていた。たまたま岐阜に住む伯父も通院の為名古屋に来ていて、先に母親にピックアップされていた。母親が今日は留学生もいるので”エライ事”になると言った。

母親は社会の役に立つ的な事が好きでここ数年、留学生のホームステイを受け入れてる。食費を含めてだが月に6万くらいどっかから貰えるらしい。今はオーストラリア人が一人家にいる。

家に着くとアメコミをバッグにいれ押入れに封印し両親に光に当てないでくれと頼む。今回の主な目的は達成された。

5時くらいになると留学生が帰ってきてメシになった。留学生はフェリックスといい二十歳の男だ。背は高く金髪でメガネを掛けて、物静かな奴だった。物静かな男だったが人と話すのは嫌いじゃないらしく食事しながら伯父と話していた。伯父は岐阜の山奥出身で板前。考え方も服装も何もかもすべたがステレオタイプな田舎者だ。

食事が終わると母親が近所の健康ランドにみんなで行こうというので、フェリックスも承知し、両親伯父私と合計五人で健康ランドに行く。風呂に入りながらフェリックスと色々話す面白いやつだ。家に帰ってからも缶ビールを飲みながら色々と話していた。すると妹が帰ってきた。妹が帰ってきた。

フェリックス作曲とかしていて音楽が好きで、あれがいいとかこれがいいとかなり、Mac Proとハードディスクを持ってきて色々音楽を聞かせてくれたり、ヘッドホンの見せ合いをしたりと盛り上がってきた。しばらくすると妹がいきなり、もう伯父が寝ているのに音が五月蝿い!と叫び、私に言っているんだと続けて言った。私は何も音を出していなかったし、当のフェリックスだって対した音量をだしてなかった。しょうがないのでフェリックスに音を下げるように頼んだ。

妹は家の中ではキチガイだったが外面はとても良い(妹が嫌っている父親に良く似て)ので、フェリックスにこんな態度を取るのが意外だった。

妹はデスクトップPCを見ながら、来年自分が結婚するのでと前置きし、荒い口調で私に色々質問を始めた。
手始めは私が結婚式をいつどこでするのか?だった。私がさっぱり判らないと答えると、こっちも予定があるから忙しいとかちゃんと決めてもらわないと困るとかキレ始めた。
もっともと言えばもっともだが、私は元々正式なものをやる気は全くなく、女側の両親を納得させるために”何か”やるつもりではあったが、その”何か”に日本人を参加させるつもりは無い。数年前ならお前など元々呼ぶつもりもないと怒鳴りつけてそのまま大喧嘩になる所だったろうが、オーストラリアの新しい友人と年齢が私の怒りを抑えた。正式な式をやるつもりはないと言うと納得したようだった。

さらに質問は続く。将来台湾から何時帰ってくるのか?一人っ子のもとに嫁ぐのだがら両親の面倒は誰が見るのか?と続けた。
私はこれには、閉口した。
WOW タップリ20年は一つ屋根の下に住んでいながら父親と一言も口も聞かないキチガイ女が常識人ぶったことを言っている。
私は永遠に台湾に住むわけではないと言った。この問題はその場凌ぎではなく、私の女は本当の常識人なので新しい両親の面倒を見るつもりでいるし、すでに私の両親の健康状態は彼女の最大の関心事だ。
私の答えに一応納得したようだった。妹は質問を続けた。結婚式の前にこのキチガイと結婚するモノ好きが私に挨拶したいらしい。私は何時帰ってくるのかはわからないとと答えた。
ウンザリだった、この怒りに耐えるのに。このキチガイに馬乗りになって心ゆくまで、私の拳の骨が折れるまで顔面を殴り続けて、見慣れた顔が不細工に変形するさまを楽しんでやりたい、が、そんな事はしたくない。もうウンザリだこのキチガイには永久に関わりたくない。
私はその後フェリックスと夜遅くまで話し続け、眠った。




0 件のコメント:

コメントを投稿