2013年1月6日日曜日

八時前に目が覚める。目が覚める。
昼に女の兄夫婦が来て一緒にメシ。食卓には普段より多めの皿が並び、何故か鍋が2つ。普通はスープが一種類なんだが、2つ有る。
女の母親がカレーだよと一言。そういえば日本では何を作ってたのかと聞かれてカレーとなんとなく答えたので気を使ってくれたのだろう。
日本でカレーと言ったら、皿にご飯が盛られそこにカレーをかけて喰う。他に主にオカズは出てこないのが普通の感じだと思うが、この家ではなんかオカズの一種としての扱いのようだ。
嫌な予感しかしなかったが、茶碗にご飯を盛ってカレーをかける。シャビシャビでほとんどスープ。味もなく小学生が生まれて初めて作ったような失敗作。とは言え気を使って多めに食べる。
私はもう二度とこの家で普段作らないような料理名を会話で出すのは避けようと誓う。
両親と兄夫婦はCOSTCOへ買物へ出かけた。私と女が残された。
女は私のありとあらゆる行動を両親が気に入るようにしようとしている。もしも両親が気に入る呼吸の仕方があればそれを私に強制するだろう。
さっきの食事でも箸を置くときの動作の力が強すぎるとか(常識の範囲で普通に動いているだけだと思うが)、もっと野菜を食べろとかグダグダ始まった。女の母親が私があまり野菜を食べないとか、魚ばかり食べてるとか、文句を言っていたと言う。
私にわからないようにまた台湾語でブツブツ女に文句を言っていたのだろう、陰険な性格の悪いババァだ。
私は相当気を使ってあの糞不味いカレーをガブガブ食べた事もあり、キレる。
俺は全てのオカズを美味かろうが不味かろうが笑顔で食べてるし(ほとんど不味いが)、魚ばっか食ったのは誰も食べてなく残っていたので気を使って食べたのだ、何でも大体クエクエうるせ~から食いまくってんじゃねかと、キレた。
しばらく女は黙ったままだったので、自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がる。
しばらくすると女が謝りに来た。しばらくカリカリしていたが、ちょっと眠ったら何となく落ち着いたので二人で出かけ、コーヒーを飲んで戻ってくる。
夜食事が終わり、女がシャワーを浴びていて、居間には両親と私の三人。
去年くらいから、女の両親に何度も私の両親と会いたいと言われたので、私と女は2月の旧正月に両親を台湾に来させる計画を立てていた。
私がこの家にきた一日目にも大体2月を予定していると伝えて、いつが良いか聞いたのだが、いつでもいいよと答えが帰ってきた。
今日の昼、私の母からチケットを予約したというので、その事を伝えた。
てっきり私はそっちの要求通りに事を運んでいるので喜ぶのかと思ったら、女の母親の顔が明らかに曇る。
2月のその時期だと兄夫婦の出産と重なるからどうのこうの、私の仕事が決まってからのほうがいいんじゃないかとかいろいろ言い出す。
一日目に言えや、と喉まで出たが、それを飲み込む。寒気と怒りが体の中で渦巻いている。女がシャワーから出たら話そうというので、暫く待つ。
女がシャワーから出てくると、話が始まる、台湾語で。女は北京語で答えているので何となくはわかるが、北京語で話せやとテーブルを蹴りたくなる。
女が何となく善戦しているのはわかるが、それだけしかわからない。父親はテレビから目を離さず二言三言言ったが、台湾語なので分からないが、来たら来たで大丈夫みたいな事を言ったが気がする。
話が一段落ついた所で、女が洗濯するというので手伝うとついていき、ミーティング。
女が言うには母親が相当気分悪く怒っているという、父親は私が聞き取れた通りの来たら来たで大丈夫という感じの反応だたようだ。
今さら何を言ってやんがクソババというのが私の意見だ。が、しょうが無いので母親に謝ってチケットをキャンセルしてもらうしかない。
話し合いの最中に女にも少しキツイことを言ってしまったので、それを謝り、取り敢えずキャンセルを頼むということで居間に戻る。
居間に戻り女がそれを伝えると、今度はそれは私の母親に悪いので、私達二人でどうするか決めろと言う。
脳みそ沸いとんのかババァ、と壁にでも叩きつけてやりたいのを堪える(こんな私を受け入れてくれただけでも感謝すべきなのだと、何度か心で繰り返して)。一応私の両親を台湾にこさせるということになる。
その後、もっと頻繁に相談すべきだった勝手に決めて申し訳ありませんでしたと頭を下げる(全然勝手には決めてないのだが)。すると女がそういうことをしっかりと伝えなかったのが悪いのであって、私のせいじゃないと言われる。涙が出そうになるが、それは制御できない一歩手前の怒りがもたらした物だ。
それから夜、女が兄にも相談。女は泣きやすい性格で電話しながら泣いていた。私と両親と私の両親への思いで多方面から挟まれているのだ。
一時間ほどしゃべっていたが、父親の健康状態が相当悪く水曜の検査次第ではそれくらいにまた手術するかもしれないから、キャンセルさせたほうがいいかもしれないと言われる。
兄貴は私のストレスも心配してくれて、女の実家を出て自分の家にすめといってくれた。出産のため一ヶ月家を開けるのでその間限定だが、ありがたい申し出だ。
しかし私が女の両親がそれに同意するかと尋ねると、女は両親には友達に家に泊まることにすればいいという。
女に取り敢えずキツイことを言ってしまったことを謝り、私たちは眠った。


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